最澄が宿泊していた国指定重要文化財。


千年家(横大路家住宅)は、九州で最も古い部類に入る江戸時代初期(1650年頃)に建てられた民家で、
昭和52年1月28日、国の重要文化財の指定を受けました。

千年家の由来は、伝教大師である最澄から授けられた法火を代々受け継いで、
火を消すことなく千年の間、守り続けているという伝説から生まれました。
法火は家の竈の中にあり、毎朝、火を焚いて種火が消えないようにしてあります。



家の造りは、「曲がり家」というL字型に折れ曲がった建物で、屋根は茅葺きで趣があります。
近年、建物の傷みが激しくなったことから、平成12〜14年に修理・補強したことにより、千年家の歴史が明らかになりました。




西暦805年、遣唐使として唐に渡っていた最澄が日本に帰国、布教する場所を探して現在の福岡県古賀市(新宮町の隣)花鶴浜の海岸に上陸しました。
最澄が、布教するための寺を建てる場所を決めようと、唐から携えてきた独鈷と鏡を空高く投げると、現在の立花山の方角へまばゆい光を放ちながら飛んでいきました。
最澄が独鈷と鏡の落ちた場所を探していると、1人の怯えている猟師の源四郎に出会います。
最澄が、「どうしたのか」と尋ねると、
「狩をしていたら、まばゆく光るものが空から飛んできたので急いで山を下りてきました。」
と答えたので、道案内をしてもらい独鈷と鏡が落ちた場所にたどり着きました。
そして、そこに小さなお堂(現在の『独鈷寺』)を建て、しばらくの間、源四郎の家に滞在して布教を続けました。
源四郎の家を出発する時、最澄はお礼にと、自ら彫った、仏教における天部の仏で四天王の一尊に数えられる武神『毘沙門天像』と、
唐の天台山から持ち帰った『法理の火』を源四郎に授け、「この火を絶やすことなくともし続けていれば子孫繁栄となる」と伝えました。
他に望みはないかと尋ねられた源四郎が、「良い水を得る方法を教えてください」とお願いしたところ、
最澄は「たやすいことだ」と、土地を選んで杖で土地を突き刺すと清水が湧き出てきました。
これを『岩井の水』と呼んでいます。
『毘沙門天像』『法理の火』『岩井の水』を大事に守れば子孫繁栄で家はつきることがないと最澄は言葉を残して帰路の途につきました。
それから代々、横大路家では子孫が繁栄し、現在44代目(2007年)に受け継がれています。
このことから、霊水「岩井の水」を水を飲むと男の子を授かるという言い伝えができました。