人丸神社
人丸町神社は、新宮では有名な国道3号線の新宮ドームのある交差点付近に位置します。
人丸神社
人丸神社は源平合戦に衰史にまつわるお宮です。
平景清は源頼朝に対する謀反の罪で日向の国へ渡されました。
その景清の姫である人丸姫は父を慕い京の都から九州まで来ました。
しかし、長旅の疲れからこの地で病にかかり、そのまま亡くなってしまいました。
人丸姫の遺言は、「父に会えずに死ぬことは心残りなので、
日向に向けて葬って欲しい」というもので、それに従って、飛山に葬りました。
このように父を慕う姫の心情から、子供の無事成長の祈願参拝の場となっています。

交通量の多い交差点からひとたび神社に入ると、静かな参道に変わります。

人丸神社までは約300メートルあり、道の脇には竹も植えてあります。

幻想的な落ち葉のレッドカーペットの向こうに人丸神社の鳥居が見えてきました。






人丸神社物語
人丸神社は源平合戦の衰史にまつわる神社で平景清の娘「人丸姫」を祭神とします。
景清の妻は子供がいないことを悲しみ神仏に祈り続けました。
治承2年(一一七八年)三月十五日、朝日(旭)が上るときに懐妊を覚え女の子を出産しました。
旭という字は「日」と「丸」と書くことから「人丸」と名付けたと言われています。
その後、平家は壇ノ浦の戦いで源氏に敗れ、景清は源頼朝の暗殺を計画しましたが、
事前に発覚し捕らわれ両目をつぶされて九州(日向の国)に流罪の身となりました。
後に、景清はこの地で亡くなりました。
人丸姫は幼くして母と死別し、京都北嵯峨の叔父の家で育てられました。
十三才の時、父景清に会いたい一心から乳母と共に京の都を旅立ち遙か西国の日向の国を目指しました。
その度の途中、筑前院内村(立花口)独鈷寺の末院(下府にあった)に父の旧友である僧を訪ねました。
そこで、父景清の噂を聞き一日でも早く会いたいと思いましたが、
僧が思い止まるように言い聞かせているうちに、長旅の疲れからか病気になり床に伏せるようになりました。
周りの人々はいろいろと手を尽くしましたが建久三年(一一九二年)十一月九日に人丸姫は亡くなりました。
死ぬ間際に人丸姫は、「父に会えずに死ぬことは心残りなので、
私が死んだら塚を築いて印に松を植え、日向に向けて葬ってください」と頼みました。
その遺言に従い、飛山(神社がある丘陵の小字名)に葬りました。
幼少の頃、父を慕ってはるばる京都から下府まで来て病没の身となった姫の心情から、
この人丸神社は、世の親として子供の無事成長の祈願の祈願参拝の場となっています。v
平成十八年
新宮町教育委員会 参照
人丸神社のアクセス
所在地 糟屋郡新宮町下府
行き方 西鉄バス人丸からすぐ